MKK TOKYO

青山学院大学 経済学部経済学科 3年(2017年5月現在) 。 企業研修を受ける中で人に何かを伝えることの難しさを痛感。 少しでもそれを克服できるように、また、少しでも“何か”を人に届けられるようにと思い立ちブログを開設。

【未来を選択する】

 

 

久しぶりの更新ですが、いつものコラムと違って近況報告という形で文字を起こします。

 

 

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最近はというと、タイムリーな話では大学の期末試験の最中で明日も試験が3つあります。単純に気分転換で書いています。

突然部屋の掃除したくなっちゃう時ってあるじゃないですか。それです。

 

 

近々の重要度の高いトピックでは、自分の将来について真剣に考えています。

何の為に生きたいのか。

どんな風に生きて、誰を幸せにしたいのか。

何を大切にして、何を自身の幸せとして捉え、どんな未来を描きたいのか。

自分の残りの人生を何に使いたいのか。

自分ありきの自分なのか、他人ありきの自分なのか。

お金が自分を幸せにしてくれるのか、人が自分を幸せにしてくれるのか。

自分には何ができて、何ができないのか。

誰に、どんな方法で力になることができるのか。

 

 

深くはここでは書きませんが、大体はそのようなことを頭の中で思考を巡らせています。

そのようなことを考えていると、自然と自分の心の中で熱い思いが湧いてくるので、きっと最終的には明確で純度の高いアンサーにまとまるんだろうなぁなんて思っています。

きっと大丈夫。

 

 

人生は選択の連続なんて言いますが、これは決して断続的なものではなく、継続的で恒常的で頻発的なことであると私は思っています。

今この瞬間をどう生きるか、目の前にいる相手にどのような言葉をどのような語り口で伝えようか。

今うっかりしそうになったことも後回しにした方が実は後々上手く行くんじゃないだろうか。

今目の前で起きていること、直面していることに対してどのような態度で受け止めるのか、どういった覚悟を持って望むのか。

人生は選択の連続というよりかは、もっとミクロに捉えて日常は選択の連続と言った方がわかりやすいかもしれません。

 

 

選択の前には、必ず思考が必要不可欠です。

これは日々の習慣やトレーニングで思考スピードや思考軟度を高めることができるので、やはり毎日考える癖は付けていたいものです。

モノの考え方には必ずその人の価値観やバックボーンが投影され主観的になってしまう傾向があります。なので、第二者視点、ひいては第三者視点が必要になります。

そう言った意味で、最近は家族や大学の友人、一緒に働く仲間の視点と知恵に助けて貰うことが多いです。

自分の人生くらい男らしく自分ひとりで決めたいものですが、すみませんが頼らせてください。

お願いします。

 

 

最終決定は自分でします。

自分の選択には責任を持ちたいですし、持たないといけません。

何か同程度同価値で全く異質の要素Aと要素Bがあったとして、天秤にかけた時大体同じくらいの重さ。

それらの要素を吟味し、思考し、選択した際は「片方の要素を選んだ」ことと同時に「もう片方の要素を諦めた」という現象が起こります。

Aを取ることは、すなわちBを諦めることであり、逆もまた然りです。

選んだことに責任を持つということは、諦めたということにも責任を持つことなので、「あぁやっぱあっちにしておけば良かった」なんて思わないようにしなければなりませんし、思ってはいけないように感じます。

それが道義なのかもしれません。

 

 

「自分の選択に責任を持つ」

言葉では幾らでも簡単に言えますが、本当にその重みを理解するのは、きっと選択した後にわかるのでしょう。