MKK TOKYO

青山学院大学 経済学部経済学科 3年(2017年5月現在) 。 企業研修を受ける中で人に何かを伝えることの難しさを痛感。 少しでもそれを克服できるように、また、少しでも“何か”を人に届けられるようにと思い立ちブログを開設。

【Painkiller】

 

 


「利害関係を抜きにして付き合える人」の存在が、自分の心の支えになっている。
広い社会に飛び出して様々な価値観に触れることは確かに刺激的だが、その一方で自分の気持ちに余裕が持てなくなったり、精神的に疲弊してしまうことがある。

 

そのような状況に置かれた誰もがそんな風に思うのだろうか、同じように気持ちが擦り減るような思いで誰もが苦しんでいるのであろうか。
はたまた自分の精神的な弱さの裏付けとして現れている特異的な状況なのだろうか。

 

一般論に沿って考えるとすれば前述の「そのような状況に置かれた誰もがそんな風に思う」が答えだろうか。

 

こうして言語化することがある種の鎮痛剤の様に効き、落ち着くことができる。

  

 

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組織に入れば、担当業務がある。
与えられた役割に応じて自分を変えることができるから、人は社会的な生き物だ。その証明に「立場が人を作る」という格言が存在する。
そして、役割によって組織内で関わるひとに対して掛ける言葉は十分に変わりうる余地を持っているから、言うまでもなくポジショントークは社会的な産物である。

 

しかし、公私二元論で考えた時に、公的な自分が私的な自分になりうることをここ数年で実感した。
つまり、自分が公的な場で与えられた役職や立場に応じて意識的に行っている振る舞いや発言が、私的な自分を染め上げていくような状況だ。
もっと平易に言えば、他者の感情を揺さぶり行動をコントロールするような職に就いた人は、同じような振る舞いを無意識のうちに私生活の中でも行ってしまうということだ。

 

この状況の抜け道として「利害関係を抜きにして付き合える人」との関わりに安堵を覚えるのだろうか。

私的な自分が公的な自分になり得る、今はそんな力強さが欲しい。