MKK TOKYO

青山学院大学 経済学部経済学科 3年(2017年5月現在) 。 企業研修を受ける中で人に何かを伝えることの難しさを痛感。 少しでもそれを克服できるように、また、少しでも“何か”を人に届けられるようにと思い立ちブログを開設。

【誰か】

 

 

「今この瞬間頑張れない奴は、この先の人生も絶対に頑張れない。」


自戒を込めて自分自身によく言い聞かせている言葉だ。

 




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時として、物事に見切りをつけること、物理的に無謀な行為に線引きをすることは、合理的解決方法の一つとして選択肢にあっても良いだろう。


しかし、「なりたい理想の自分像」を達成するための努力を途中で諦めてしまうのは勿体ないことだと僕は思う。

 

 

 


努力には大きく分けて2つ種類がある。


①「自分のため」の努力と、②「誰かのため」の努力だ。

 

①「自分のため」の努力は、自分が掲げた「理想の自分像」を達成するためのものであり、一見すると動機の源泉が自発的なもののように思えるが、深掘りすると人との関わりの中に動機が隠れている。

 

それは、「周りにバカにされて悔しい。」「負けたくない。」という誰かに対する反骨精神だったり、「あの人みたいになりたい!」という誰かに対する前向きな憧れだったり、「モテたい!」というある種 周囲に対する見栄だったり、動機の源泉には外的要因が大きく作用していることが言える。


そして、他人と自分を比較した時に見つけた”差分”を埋めようとする行為こそが「自分のため」の努力の正体だ。

 

 

また、②「誰かのため」の努力は、周囲に「求められていること」に応えたいという純粋な思いや、所属コミュニティのために「自分がやらなければならない」という使命感が動機の源泉だ。

 

どちらにせよ、努力の元には常に「誰か」の存在がある。

 

 

 


「誰か」の存在を思い続ければ、努力は継続できる。

 

「悔しい思い」をしたその相手を思い出すこと、「あんな風になりたい」と思ったロールモデルの存在を思いだすこと。

 

 「誰か」の存在は、自分の人生に大きく影響を与えるものであり、時として与え“続ける”ものであると僕は思う。

 

 

 


追い求めた理想を現実に変えていくんだ。

 

 

「誰か」と一緒に、一歩づつ。